中学校卒業式の祈り

新着情報

中学校卒業式の祈り

3月23日洛星中学校第69回卒業式がありました。
式に先立つ祈りのなかでは、聖書から「聖パウロのコリントの教会への手紙」が朗読され
続いて本校チャプレン・ウィリアム神父よりお話がありました。
聖書朗読箇所とお話の一部を以下に掲載します。


「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」といったところで、体の一部ではなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。私たちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄え良くしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
 (コリントⅠ 12・12~26)


パウロは、復活したキリストと出会い、その福音を世界に広めた人です。自分がコリントという町に自分が立てた「キリストに従う教会」の中で、お互いに争っている人々に対して、共同体とはどのようであるべきかを、この手紙の中で説明しています。パウロは共同体を一つの体にたとえています。そして集団の中の人、一人一人にそれぞれの役割がある、と話しています。また、「人間の一人ひとりは比べようがない、かけがえのない存在である」というとても大切なことを私たちに伝えています。
目や手や足は違う働きをしています。目と手を比べても仕方がありません。そもそも比べようもありません。更にパウロが伝えたかったことは、格好が悪く、一見、劣るように見えても、人間を造られた神の目から見るとそうではないということです。神はご自分の命をかけるほどの愛を持って、一人一人を特別に造り、使命を与えられたからです。
私は、洛星中学を卒業する皆さんに、そして在校生の皆さんにも、今日のパウロの心からの手紙を、これからもずっと覚えておいてほしいと願っています。私たち人間は、社会の中で生きていきます。人間関係というのは難しく、組織とは不自由な存在でもあります。でも、そういう人間の難しさの中で平和を作り出すことが、私たち人間に与えられた使命でもあるのです。このことは、大変難しいことのようですが、実は、案外簡単なことかも知れません。
私は授業を通して、皆さんが本当に神様に愛された存在であることを伝えてきました。唯一の存在である神様は、唯一の存在であるあなたを愛していらっしゃいます。ですから、これから皆さんが、自分の接する相手が自分と同じように神様に愛されている、かけがえのない存在であるということを、常に心に留めてその人と接していくことが大切です。そうすることによって、私たちは平和を実現する第一歩を踏み出すのだと思います。そして、そういう積み重ねを通して、自分だけでなく互いを幸せにしながら、平和な社会を築いていくことができると思っています。
人間は良いことを望んでいても、自分の力ではそれを成し遂げることはできません。ですから神に助けを求めましょう。祈りを通して、今までの歩みを神に感謝し、これからの道のりも導いて下さるよう祈って行きましょう。
4月から、新しい生活が始まります。学校の中で、また、家庭や社会の中で、ぜひ、平和を実現する人であってください。 
皆さん、今日は本当に、おめでとう。

 


2023.03.28

TOPへ